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▼白峯寺白峯寺は四国霊場八十一番札所で古くは30数坊があったといわれ、
東の谷には坊の石垣が多く残されています。
1164年崇徳上皇の御陵が造営されて以来、その菩提所として信仰され、
奉納された文物は綾北文化の根源となっています。
親指ほどのサイズの招き猫が、石灯籠に縁にたくさん鎮座していました。
白峯寺には「招き猫みくじ」というものがあり、
おみくじに付いてくるミニ招き猫を寺に置いていく人が多いようです。
石灯籠の傘の上にも一匹。
招き猫じゃなくて、なぜか達磨もこんな場所にいました。
苔むした墓石。
水子地蔵のようです。
頓証寺殿。
鼓岡の御所を移築したものといわれています。
崇徳上皇崩御後、度々都で変事が続いたことから御廟所が建てられ、
速やかに迷いを断ち悟りを開く意味で「
頓証寺」と追号されました。 江戸時代に入り、延宝八年(1680年)に
高松藩主松平頼重・頼常公が大願主となり再建が行われました。
相模坊大権現。
かつて相模の国の大山に君臨した修験の大行者で、。
後に讃岐の国・白峯山に入山し、当山の修験行者集団の統括者となり、
その神通力、法力により行者集団から大権現として祭祀されました。
崖の上に見えるのは薬師堂。
本堂への石段。
本堂。
入母屋造りで本尊千手観世音菩薩を祀っています。
観音堂とも呼ばれ、後嵯峨院の勅号に依り千住院とも。
開基以来数度の火災により焼失。
現在の堂は慶長四年生駒近規公によって再建されたものです。
本尊の千手観世音菩薩は愛染明王、馬頭観音を脇侍として祀られ、
智証大師と当山鎮守白峯大権現の合作と伝えられています。
ぐずついた空模様のなかでも熱心に祈りを捧げる遍路。
香川県指定文化財・五重塔。
屋根に乗ってるのは硬貨のようです。
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▼白峯御陵長寛ニ年(1164年)に鼓岡で崩御した崇徳上皇は、
白峯山 稚児ヶ嶽の頂上で荼毘に付され御陵が築かれました。
江戸時代には荒廃を重ねましたが、
歴代藩主の手厚い庇護を受け次第に修復され、現在に至ります。