場所がわからず、しばらく越中公園をグルグルしていたのですが、
公園から道路を挟んだ反対側にちゃんとありました。
特に何があるというわけでもなく、記念碑と井戸があるばかりです。
関ケ原の戦いの直前、細川越中守忠興が家康に従い上杉攻めに出陣中、
石田三成は在坂諸大名の妻子を人質にして家康に対抗しようとしたが、
忠興夫人玉子(洗礼名ガラシャ)はこれに従わず、
家臣に胸を突かせて37歳の生涯を閉じたと言われています。
越中公園、そしてカトリック玉造教会周辺は細川家の屋敷跡であり、
欧風の洒落た現代住宅がひしめく玉造・森ノ宮の町が
かつては巨大な大名屋敷が軒を連ねていた場所とは信じられない思いです。