岐阜駅前に仁王立ちする黄金の信長像。
岐阜城は、金華山(稲葉山)にある山城跡。
織田信長が、斎藤龍興から奪取した稲葉山城の縄張りを破却して
新たに造営したものが岐阜城である。
金華山のふもとを流れる清流。
ロープウェイから降りてすぐの眺望。
古い遺構の石垣はかなり荒い野面積み。
天守台とそうでないところでは石の色が違い、時代の差があるのがわかる。
この規模の山城で石垣を大規模に積み上げるのは珍しい。
大規模な石垣群は、岐阜城ではなく麓の織田信長居住跡で見られる。
岐阜城には麓に天主と呼ばれる御殿があり、
そこへ通じる道の両側に当時は石を積んだ塀がめぐらされて、
その先の上段の「千畳敷」と呼ばれるところにその御殿があった。
織田信長時代には、山頂部には信長の家族や人質が暮らしていたことが、
1569年(永禄12年)来岐した宣教師ルイス・フロイスの書簡から伺える。
現在の模擬天守の設計は加納城御三階櫓の図面や古文書を参考にしたもの。
天守(展望台)南側からは名古屋まで見渡せる。
濃尾平野とそこに広がる岐阜の町が一望できる絶景。
地面に映る雲の形まではっきりと分かるほど。
中央アルプスの山々がうっすらと見える。
ここに暮らした信長が、天下布武を強く意識するのも頷ける。
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ここまで高い場所にある山城は初めて訪れたので、
見晴らしの良さに改めて感激しました。
高知の岡豊城跡の風景を見た時と似た感動がありました。
元親も信長も、強く「統一」を意識した武将。
彼らの洪大な野心を育んだのは
こういったダイレクトなビジュアルイメージだったのかもしれません。