2009年秋に藤堂高虎ゆかりの地巡りをしたときの写真(2)。
伊賀市上野丸之内・伊賀上野城。
関ヶ原の戦いの後、いずれ来るであろう大坂方との決戦に備えて
藤堂高虎が徳川家康に築城を命じられた伊賀上野城。
この城が実際に戦闘要塞として機能することはありませんでしたが、
いかにも高虎らしい正四角形に近い縄張りと高い石垣を持った
戦国の息吹が感じられる城です。
高虎の築いた、高さ30メートルにも及ぶ高石垣。
柵のようなものは何も無いため、覗き込むだけで脚が竦みました。
現在そびえ立っているのは、築城当時のものとはまるで違う模擬天守。
戦後に乱立したコンクリート製の模擬天守とは違い、
明治時代に建てられたということで内部は木造という珍しい天守です。
しかし壁の剥落が目立って痛々しい……。
城の北手は鬱蒼とした森になっていました。
伊賀上野城は大坂側が攻めこんできた際の砦として設計されているため、
大手は南側、つまり大坂側からは攻めこまれにくい方角に作られています。
石垣技術円熟期の、打込ハギの見事な石垣。
間に丸い石を詰め込んでいるのが珍しい。
高虎の顔ハメパネルがありました。
高虎はともかく、持っている旗指物にも顔を出す穴があって斬新……。
城の中は、藤堂家伝来の生活用具・調度品が展示されていました。
写真は藤堂蔦がちりばめられた箪笥。
そして目玉のひとつ黒漆唐冠形
兜。
実物はやはり大きかった。ガラスケースひとつ分あります。
大人が両腕を伸ばしたぐらいの幅はあったかと思います。
暗かったので写真がブレてしまいましたが、家紋つきの駕籠。
高虎もこんな駕籠に乗って移動したことがあったのでしょうか。