▼JR彦根駅前 井伊直政像彦根は年に数回訪れる町ですが、
いつ来てもこの直政像を見ると「彦根に来たな」という感じがします。
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▼佐和口多聞櫓城の正面枡口を囲むように建つふたつの櫓。
向かって左側の櫓は、佐和山城からの移築と言われています。
その端に二階二重の櫓が建ち、多聞櫓に連接しています。
向かって右側は開国から100年を記念して鉄筋で作られた模擬櫓。
現在は「開国記念館」として市民ギャラリーになっています。
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▼馬屋表門の外、内堀と道路を隔てて建っている細長い建物は、
元禄時代に建てられ、常に十数頭の藩主用の馬が繋がれていた馬屋です。
内部には21の馬立場・馬繋場が設けられ、東側に管理部屋があります。
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▼彦根城表門から天守へ向かう階段金亀山山頂まで続く石段。
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▼天秤櫓の壮観な石垣越前の石工たちが築いたと伝える築城当初の牛蒡積み。
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▼廊下橋創建時は壁と屋根付きの廊下のような橋であったとされています。
廊下橋の下。幕末の嘉永年間に積み替えた切石の「落し積み」。
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▼天秤櫓
大手門と表門からの道が合流する要の位置に築かれた櫓です。
両隅に2階建ての櫓を設けて中央に門が開く構造となっています。
彦根藩主井伊家の歴史書である『井伊年譜』には、
この櫓が長浜城の大手門を移築したものであると記しています。
昭和30年代の解体修理では、移築された建物であることや、
往時の長浜城主内藤家と伝える紋瓦なども確認されていますが、
天秤櫓の前身が『井伊年譜』の記載どおり
長浜城大手門と断定するには至っていません。
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▼太鼓門櫓重要文化財・太鼓門櫓。
門櫓の南には、「く」の字に曲がった続櫓が付設されています。
この門櫓は、建物の背面の東壁面が開放され、
柱間に高欄を設置して1間通りを廊下にしています。
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▼着見台着見台から琵琶湖の方角を眺める。
湖の向こう側には長浜の町が広がり、長浜城も見えます。
着見台から美濃の方角を眺める。
まだ雪の残る伊吹山が望めます。
あの麓が関ヶ原かと思うと、意外に近いことに驚きます。
着見台から佐和山の方角を眺める。
すぐ目の前に横たわる佐和山。
琵琶湖方面をさらに遠景。
長浜を超えてさらに日本海側に進めば敦賀。
北陸の雪の残る山々が望めました。
着見台(月見櫓跡)には明治になるまでは二重二階櫓があり、
佐和に出る月を見て観月雅会が催されていたそうです。
また城門佐和口および京橋口の看視に当たり、
城門へ
到着する早出、早馬、行列の先触などを
いち早く発見して役人に連絡していました。
月見、着見と名付けられたのはそのためであろうということです。
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▼天守通し柱を用いず各階ごとに積み上げられた天守は、
3層3階地下1階の複合式望楼型で牛蒡積みといわれる石垣で支えられ、
2重目以上の窓はすべて華頭窓を配し、
最上階には外廻り縁と高欄を付けています。
各重に千鳥破風、切妻破風、唐破風、
入母屋破風を詰め込んだように配置し、
非常に豪奢で勇壮な外観が特徴です。
大津城天守(4重5階)を3重に縮小して移築したといわれ、
昭和の天守解体修理の際に、
転用されたものと見られる部材が確認されています。
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▼西の丸三重櫓西の丸三重櫓は、本丸に隣接する西の丸の西北隅に位置しており、
さらに西に張り出した出曲輪との間に設けられた
深い堀切に面して築かれています。
堀切の底から見上げる三重櫓は絶壁のようにそそり立っており、
西の搦手方面からの敵に備えた守りの要でした。
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▼搦手方面の石垣
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▼表門橋周辺の水堀広い犬走りがめぐらされているのが彦根城の特徴です。
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▼玄宮園彦根藩主・井伊家の手になる大名庭園です。
魚躍沼と名付けられた大きな池を中心にした大池泉回遊式庭園で、
金亀山上にある彦根城天守を借景にして、
中国湖南省の洞庭湖の「瀟湘八景」にちなんで選ばれた
近江八景を模して見事に造園されています。
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▼彦根城博物館 能舞台彦根城博物館の中央に建つ能舞台は、
江戸時代の表御殿の中で現存する唯一の建物です。
明治以降、他の場所に移されていましたが、
博物館の建設にあわせてもとの場所に戻されました。
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▼宗安寺赤門(夢京橋キャッスルロード)京都百万遍知恩院を本山とする浄土宗寺院・宗安寺。
表門は朱塗の門であることから「赤門」と呼ばれて親しまれています。
石田三成が佐和山城表門を移築したと伝えられ、
乗馬したまま境内に駆け込めるよう、門に敷居がないのが特徴です。
元禄時代の彦根大火にも焼けずに残りましたが、
平成8年に街路拡張整備工事により西へ約5.5m移動しました。
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▼2011年5月22日、ひこにゃん in 彦根城博物館たまたまひこにゃんの撮影会の時間だったので見に行きました。
撮影会なのに、アクティブに動き回るのであんまり撮影できない……。
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▼2012年4月13日、春の彦根城と赤鬼丼いろは松の通りから。
あいにくの雨模様ですが、石垣からこぼれ落ちそうな満開の桜。
南彦根・あじわい和食堂いろどりさんの「ひこね赤鬼丼」。
近江名物の赤こんにゃくを揚げたかつ丼です。