2011年3月20日、勝竜寺城公園を訪れた際の写真。
京都府京都市右京区嵯峨小倉山。
長岡京駅から勝竜寺城公園までを繋ぐ「ガラシャ通り」
……のはずなんだけど、ご覧のとおりめちゃくちゃ殺風景です。
ガラシャにちなんだ和菓子売ってる店とかないかなと思ってたけど
勝竜寺城公園まで和菓子どころか店すらない有様。なんという名前負け。
200〜300メートルぐらい歩いたら徐ろに水堀と櫓が出現しました。
遠藤周作が著書「埋もれた古城」の中で、
"堀らしき川は淀んでいた" "にわとり小屋が建っていた"
などと荒廃感いっぱいに書いていたためちょっとビビってたんですが
現在はこのように模擬櫓まで作られかなり整備されています。
正門側の虎口。記念石碑とか説明看板とかいろいろあります。
模擬櫓は管理棟になっていました。
清掃員の方もいらっしゃってかなり清潔。
2階には展示物もありますが、ガラシャや細川家関係ではなく
遺構の発掘調査の展示なのでちょっと地味なのが残念。
それでも細川家のお城ということで九曜紋はあちこちにあります。
お堀の水は100%地下水(「ガラシャのおもかげ水」というらしい)。
錦鯉はわんさかいるし、アヒル・鴨・カメなど動物もたくさんいました。
建築物が残っているわけではないので、遠景だとふつうの公園です。
遺構も井戸以外は特になし。
この画像だとちょっと寂しげですが、夏になると花がたくさん咲くらしい。
公園の片隅に設置された忠興とガラシャの銅像。
勝龍寺城は、まだ十代なかばの少年少女だった細川夫妻が
盛大な結婚式をあげ、新婚生活を送った城として有名です。
お互い微妙に視線を外している安心の細川夫妻クオリティ。
帰りは裏門から。
土塀も復元なので、狭間などはすごく適当感あふれる仕上がり……。
土塁も盛ってます。
推定地に建てられた模擬隅櫓。
公園側(内側)から見ると、休憩所になっています。
よく見たら石落しなんかがありますね。
管理棟のなかに設置されていた細川夫妻の絵画。
あんまりプッシュされてないけどガラシャのゆるキャラ。
公園の北側には沼田丸跡という遺構を残した公園があるのですが
時間の都合で立ち寄れませんでした。無念。
またガラシャ通りの途中に神足神社という少し大きな神社があったのですが、
あとで調べたところこちらも城郭の一部だったとのこと。
JRで移動していて気づいたのですが、山崎とは1駅しか離れてないのですね。
光秀は、山崎の戦い→勝竜寺城→坂本城というルートで帰還しようとしたらしいですが、坂本に帰る前に旧友の居城を属城にしたのは土地勘があったからなのかなとふと思ったりしました。