▲東福寺退耕庵
1599年に安国寺恵瓊が再建した庵。
石田三成ら西軍の将と恵瓊が密談したとされる茶室「作夢軒」が現存。
庵内は拝観禁止だったので外だけです。
元日は大雪に見舞われた京都ですが、2日にはすっかり晴れ上がっていました。
でも京都駅に降り立ったときは寒すぎて死ぬかと思いました。
▲臥雲橋から眺めた通天橋
▲臥雲橋を渡っているところ
▲東福寺禅道
▲日下門
▲東福寺方丈内部
▲方丈南庭
東西に細長い地割に、蓬莢・方丈・瀛洲、壺梁の四島に見立てた巨石と、
砂紋による荒海の表現に加え、西方に五山を築山として大和絵風にあらわし、
神仙境を表現した枯山水式庭園。▲方丈北庭
有名な市松の庭。
作庭以前に南の御下賜門内に敷かれていた石を市松模様に配したもの。
雪がふっていて本来の緑と白石のコンビネーションは見られなかったものの
思いがけずモノトーンのめずらしい庭が見られました。
▲北庭から見る通天橋
▲偃月橋
塔頭、龍吟・即宗両院に至る三ノ橋渓谷に架かる木造橋廊。
単層切妻造の屋根は桟瓦葺。
下流の通天・臥雲両橋とともに東福寺三名橋と呼ばれています。
▲龍吟庵
島津家と縁が深く、方丈は国宝にも指定されている龍吟庵。
残念ながら門が閉まっていたため拝観できませんでした。
▲洗玉澗渓谷
▲通天橋をわたる
仏殿から開山堂に至る渓谷・洗玉澗に架けられた橋廊。
1380(天授6)年、
春屋妙葩が谷を渡る労苦から僧を救うため架けたとつたえられ、
歩廊入口には同国師の筆になる「通天橋」の扁額が掲げられています。
踏みすぐる一渓紅錦の雲 頼山陽▲開山堂
通天橋を渡って至る別名・常楽庵。
もとの建物は1819(文政2)年に焼失し、
1823年(同6年)一条忠良によって再建された。
屋上に閣を持つ類例を見ない開山堂で、正面柱間八間、
内部は禅式瓦敷(四半敷)、祀堂は床高で開山国師像を安置している。▲開山堂庭園。
あまりの寒さに池が厚く凍っていました。
氷の上の白いものは観光客が雪玉を投げて「凍ってる凍ってるw」
というようなことをした残骸です。
▲平庭式の市松の砂紋