2010年5月29日に四国旅行で松山を訪れたときの写真。
愛媛県松山市丸之内・松山城および松山城二の丸庭園。
大手門跡の角を曲がると天守が正面に見えました。
手前の建物は太鼓櫓。
とにかく迷路のような城塞感があって、かなりわくわくします。
ほとんどが嘉明がつくったものらしいですが、
倭城築城で培った技術なのでしょうか?
さらにU字に曲がると戸無し門。
門が開いているわけではなく、もともと戸がないのだそうです。
ロープウェイやリフトで登るだけあって、松山を一望できる高さ。
ピンク色がかわいい元・馬具櫓。
まさかのスピーカーつき。
連立式城郭なので、櫓にはさまれるように天守が立っていました。
雰囲気は、同じ連立式の姫路城と酷似してる印象。
大好きな控塀ももちろん撮影しました。
松山は石で支えてあるようです。
控え塀の上が波のようなラインで珍しかったので撮影。
城主の専用玄関。
玄関から七段の階段を登ると、
右側の内門渡り櫓を通って天守に渡れます。
撮影したときには気づかなかったのですが、
良く見ると唐破風の中央・兎の毛
通しに「葵の紋」がありました。四国の内側を望むとこんな感じ。
本丸が一望できました。
こちらは瀬戸内側。
城を見学した後は、黒門口登山道を歩いて下りました。
奥手に見える石垣が「登り石垣」。
万里の長城のように物理的に侵入者をシャットアウトするためのものです。
しかしパンフレットに「登り石垣(登れません)」と書いてあるのがシュール。
リフトで登った山を脚で降りるのは中々大変でした。
登山道を降りると二ノ丸史跡庭園が広がっています。
整然と整備された庭園の奥に、無造作に置かれたまないた石。
松山城2代城主蒲生忠知が乱心の末に、
この石の上で妊婦の腹を裂いたという伝説が残っています。
薄暗い庭の隅にぽつんと置かれていたのが怖いです。
地下水が湛えられている井戸跡。
かつてはこの上に屋敷が立っていて階段で水を汲みに降りていたそうです。
県庁裏からの眺め。
山からぴょこっと天守が見えるお城はたくさんありますが、
こんな風にたくさんの櫓がつきだしているのが見えるのは珍しい。