2009年6月ごろに高松城跡を訪れたときの写真。USBメモリから発掘。
香川県高松市玉藻町・玉藻公園。
市内ということで油断して、大雨のさなかに出かけてしまいました。
後で天気予報を見たら大雨洪水警報が出ていたという罠。
どおりで雷がゴロゴロいってると思った……。
上の画像は旭橋からの眺め。
高松城の堀はすべて海水で、満潮と干潮では水位が変化します。
当然石も潮の影響を受けるため、石垣を良く見ると
満潮時に水が上がる部分まで石の色が変わっているのが分かります。
旭門。
桝形という珍しいをくりぬいた形の門。
用途は不明ですが、有事の際の城主脱出用の門ではないかと言われています。
艮櫓(旧太鼓櫓)。
艮というだけあって北東の方角にあったのですが、
区画整備の関係で現在は南側に移築されています。
変な位置に石落があるのはそのせい。
高松城は廃城になったのち陸軍省が管理していましたが、
明治23年に旧藩主松平家に払い下げられ、
その後玉藻公園と名を変えて昭和30年ごろから一般公開されました。
水戸光圀の兄、
松平頼重が領したことから徳川家ともゆかりが深いです。
井伊家と婚姻関係があったことから、彦根城とは姉妹城関係にあります。
天皇陛下も宿泊した披雲閣。
ホテルクレメント高松とシンボルタワーが見えます。
ここからが内苑御庭。
1メートルはゆうに越える巨大な手水鉢「
銀閣寺型手水鉢」。
銀閣寺にあるものを模したものだそうです。
月見櫓。
月見櫓のすぐ向こうは港。
現在は道路が走っていますが、かつては海でした。
二の丸あたりの風景。
ここから天守閣に通じる鞘橋がかかっていたのですが、
現在天守復元工事のため取り外されています。
もちろんここも海水なので、鯛がたくさん泳いでいます。
海水を調節する門。
かつて海水を戦国時代の当時どういう技術で調節していたのかは
現在でも正確には分かっていないそう。
ちなみに高松城の縄張りを担当したのは
黒田官兵衛・小早川隆景・藤堂高虎……など
戦国の智将謀将オールスターズだと言われています。
かつて天守閣跡には神社(お社)が建っていましたが、
現在ではこのように一度石垣を壊しての復元作業中です。