2010年3月27日に太宰府天満宮を訪れた際の写真。
福岡県
太宰府市宰府
太宰府天満宮。
熊本城に行く道中で立ち寄った太宰府天満宮。
電池残量が少なくてあまり撮影できず、枚数少なめなのですけども。
太宰府天満宮はいわずともがな菅原道真公を祭神として祀る天満宮。
京都の北野天満宮とともに全国天満宮の総本社とされ、
また菅原道真公の霊廟として篤く信仰されています。
目にも鮮やかな本殿は五間社流造で屋根檜皮葺。
正面に1間の唐破風造の向拝を設け、
左右側面には各1間で唐破風造の車寄を付けられています。
実をつけていた左近橘。
古事記・日本書紀には、垂仁天皇が田道間守を常世の国に遣わして
不老不死の力をもつ果実を持ち帰らせたという話が記されています。
古事記ではその果実を「今の橘なり」と記しており、
古くから朝廷では橘が永遠の命の象徴となっていたようです。
境内にあった謎の像。
なんだこの宇宙生物みたいなヌルンッとした生き物は……と思っていたら、
どうもこれが太宰府天満宮の「鷽(うそ)替え神事」の鷽らしいです。
こんな生物なのか鷽……。絶対違うだろう鷽……。
鷽替え神事とは「木うそ」と呼ばれる鷽の木像を手に手に持ち寄って
「替えましょ、替えましょ」の掛け声とともに交換しあうというもので、
鷽が嘘に通じることから、前年にあった災厄・凶事などを嘘に変え、
本年は吉となることを祈念して行われる行事です。
これも境内にあった麒麟の銅像の……臀部。
あらぬ個所が妙に精密に作りこまれていたのでつい撮影。
麒麟の尻にかまけていたら飛梅を撮影するのを忘れたという大失態。
もはや何しに太宰府に来たのやらサッパリですね。
あ、梅ケ枝餅は美味しかったです。別のお店で2つも食べちゃった。
菖蒲池の近くには「如水の井戸」が残ります。
関ケ原での戦功により筑前福岡の藩主となった黒田長政。
その父・黒田如水(黒田官兵衛)は福岡城を建設中に太宰府に移り、
草庵を建て2年間隠居生活をしたとされています。
その時に実際に使用していた井戸がこの井戸です。
長政の前に筑前を治めていた小早川秀秋は
太宰府天満宮の社領を減らしたことで知られていますが、
如水は逆に増やすように働きかけたと言われ
いかに如水が太宰府天満宮を気に入っていたかがわかります。
ところでこの井戸の説明看板に如水のことを
「福岡藩主黒田長政の父孝高」と書いてあったのですが、
どう考えても如水のほうが長政より知名度高いと思う……
隠居老人で肩書きがないから息子の名前を先に出したのかな。
------------------------------------------------------------
■おまけ:戦国焼鳥家康28日に福岡で「戦国焼鳥家康」というお店に入った時の写真。
本当は屋台で豚骨ラーメン食べようとか言ってたのですが、
屋台を探してウロウロしてたら葵紋の看板が目に入り、
思わず当初の目的を忘れてホイホイされてしまいました。
とはいえ、別に内装が戦国時代っぽいとはそんなことはなく
ふつうの焼き鳥居酒屋だったんですが……。
メニューにカッコつきで武将の名前が入ってますけど、
よく見ると弁慶、那須与一、モンローと時代も雑多。
人名で揃えるのかと思ったら本能寺なんてものまであるし謎です。
でもおいしかったんですよ本能寺(鶏かわ)。