暖かくなってきた時期を見計らって姫路にやってきましたが……
と に か く 人 が 多 い ! ! ! ! ! 天守に入るまでで1時間半待ち、天守の中でも移動に1時間半待ち。
トータル3時間ほどかかるという大混雑っぷり。
さすが世界文化遺産というかなんというか、
人波に揉まれまくるので歩くのも大変でした。
正面の掘。
めちゃくちゃ白トビしてますが、大手門。
乳金物。
三の丸広場から見た大天守。
外観は五重ですが内部は地下1階地上6階の計7階で構成されています。
菱の門。
二の丸の入り口を固めた壮麗な櫓門で、
名前の由来は冠木に菱の紋を打っているところから。
櫓の正面には連続武者窓の左右に華灯窓が付いています。
姫路城は、南北朝時代に赤松貞範が築城した小規模な砦が
その始まりだと言われています。
その後、戦国時代後期に黒田重隆と職隆の親子が城郭として整えはじめ、
安土桃山時代にかけて黒田氏や羽柴氏が城代になると、
山陽道上の交通の要衝として拡張されました。
そして関ヶ原の戦いの後に姫路城の城主となった池田輝政によって
今日のような大規模な城郭へと整備拡張されていったということです。
扇の勾配で積み上げられた石垣。
三角形や四角形の狭間。
姫路城の城壁にはこのような狭間が総数1000個近く残されています。
城郭全体が残っていた時期には何千個もの狭間があったのでしょうね。
姫路城の天守や櫓、土塀などの屋根は本瓦葺が使用されていますが、
そこに使われている軒丸瓦などにはそれぞれ紋が描かれています。
普請の際にその時々の城主の家紋が使用されたためと言われ、
羽柴氏の五三の桐や、池田氏の揚羽蝶などが見られます。
将軍坂で見上げた紋瓦。
丸太の上に建っている櫓。
姫路城は江戸時代には姫路藩の藩庁となり、
西国の外様大名監視のために西国探題が設置されたました。
しかし幼少・病弱などの理由から城主としての務めを果たせず、
城主が次々とめまぐるしく交代したことでも知られています。
にの門。
道幅が狭いうえに背後から打たれる可能性があるので
侵入した敵は門はこのにの門に押しつ押されつ誘い込まれる形になります。
ここまでやってくるだけでも随分時間が掛かっているのですが、
見ての通りここからは更に身動きできないほどの観光客。
写真が上向きのものばかりなのはこういう理由があるのです。
にの門の内部。
この上に立つ櫓は床板が外れるようになっていて
ここを通る敵は天井から槍衾で一網打尽にされるのだとか。
乾小天守、西小天守、大天守などが大迫力で迫ってきます。ほの門内側に残る油壁。
山土に豆砂利を加え、米とぎ汁や粥などで練り合わせた土を
仮枠の中で叩き締めて築いたものだと言われています。
江戸時代以前に築かれたものだと推測され、
400年以上風雨に晒されてなお当時の姿を留める非常に堅強な壁です。
姫路城の別名は「白鷺城」。
建っている丘陵地が鷺山だからそう呼ばれ始めたという説や、
サギの仲間である鳥がたくさん住んでいた土地だからという説など
いろいろな通説があるようですが、
漆喰の白さが白鷺を連想させるという説がよく信じられているようです。
見上げるとふいに口をあけている石落。
城壁から不自然でないようにさりげなく配置されているので怖い。
キノコのひだのように連なる軒が芸術的です。
姫路城天守の屋根は大きく分けて千鳥破風と唐破風からなり、
それぞれが懸魚で美しく飾られています。
小天守の軒の合間から見上げる大天守。
城攻めをしてるような気分にさせてくれます。
穴蔵と呼ばれる地階の入り口。
立ち止まってはいけないと警備の人に言われたので
歩きながら撮影したら、やっぱりというかおもいっきりブレました。
ここからはこんな写真ばかりです。
畳二畳分はある大きな流し場。
簀子の下には傾斜した板があり、水は流しから内庭に排出される仕組み。
厠もすぐ傍にあり、籠城戦を想定して築城されていることがわかります。
壁には鉄砲や槍がかけられていました。
穴蔵は武器や食料の貯蔵庫として機能していたと言われています。
大天守最上階からの風景。
目前に迫った「平成の大修理」に向けて着々と準備が進んでいます。
左手には城の高さとほぼ同じ長さのクレーンが既に設置済み。
しばらくこの大天守も見納めですね。
石垣に武者走りが見えます。
大天守からの眺望はどの方角から見ても絶景です。
しかし外にまだまだ見学者が並んでいるのを見てゾッとしました。
あの人たちが大天守までたどり着くのに何時間かかることやら……。
人混みに揉まれて、半ば追い出されるように外に出て来ました。
そういえば姫路城の天守には長壁姫伝説もありましたね。
長壁姫は城の地主神であり(天守最上階に祀られていました)、
天守閣に古くから棲む老女の妖怪と言われています。
正体は古狐という説が一般的ですが、人柱となった女の霊だとも、
姫路に古くから存在した蛇神が天守伝説に変化したものだとも言われ
現代でもそのいわれははっきりと分かっていないとされています。
少し離れた場所から天守群を見上げた写真。
四層目の軒唐破風にまで到達する特大サイズの入母屋破風が見えます。
姫路城の美しさは白漆喰のためだけでなく、
バランスよくリズミカルに配置された破風の組み合わせによるところも
きっと大きいのでしょうね。
西の丸の広場。
長い間すし詰め状態というか芋洗い状態というか……で見学していたので
やや人口密度が下がって少しホッとしました。
百間廊下。
中書丸を守るため囲むように建てられた、全長300m近い長い櫓です。
渡り櫓や、千姫お付きの女たちが住んでいた長局、
千姫の身支度や化粧直しをするための化粧櫓などからなる建物です。
千姫は大坂の陣で夫の豊臣秀頼を亡くすと、
江戸に帰る途中で出会った桑名城主・本多忠刻と出会い恋に落ちます。
千姫の祖父である家康がふたりの結婚を認めると、
本多家が姫路城の城主となったことをうけて、千姫も姫路城に移りました。
しかし9年後にはふたたび寡婦となり、姫路を離れることとなります。
二の丸から見た天守。
多層状の屋根と破風が複雑に折り重なってカッコイイです。
帰路の途中、駅の周辺で見かけた遺構と思われる石垣。
街の駅で見つけた、黒田官兵衛の顔出しパネル。
姫路のゆるキャラしろまるひめ。かわいい。
こちらは池田輝政と督姫の顔出しパネル。
池田輝政はともかく督姫って微妙な知名度だと思うんですが、
はたして顔を出して撮影する人はいるんでしょうか。
お土産に買った伊勢屋本店の「玉椿」。
姫路のお土産のなかでも人気ナンバーワンなんだそうですね。
もっちりしていて美味しいお菓子でした。
今回、あまり満足に写真のいく写真が撮れず、
また行列から抜けてそれぞれの門や櫓を見学することも難しかったので、
平成の大修理が終わったころにまた再チャレンジしたいところです。