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【愛媛県今治市】今治城

2010年3月6日に、今治城に2度目に訪れた際の写真。
愛媛県今治市通町・今治城。


去年初めて訪れた今治城に、今年もやってきました。
大雨注意報が出るほどの土砂降りという最悪の天気ですが……。
家から出たときは晴れていたのに!!



どうして一度行ったことのある今治城に再び訪れたかというと、
名張藤堂家の初代当主・藤堂高吉について
今治にならなにか資料があるのではないかと考えたためです。
高吉はあまり書籍などに紹介されない人物なので
滞在していた現地で調べるのが一番はかどるのではないかと……。

今治城は、1602年に藤堂高虎によって築城が開始され、二年後に完成。
1609年に高虎は伊勢国津城に移封となりましたが
今治領2万石は飛び地として残り、養子の高吉が居城としました。
高吉を知る上では欠かせない土地ということになります。



土橋から眺めた御金櫓。



土橋右手の鉄御門と武具櫓。





入った正面(桝形)にある「勘兵衛石」と呼ばれる巨石。
藤堂高虎の重臣で築城奉行であった、渡辺了が据えたものとのことです。
桝形の石垣は廃城令によって城郭が破却された際に取り壊されましたが、
この石だけは残されたと言われています。



今治城築城・開町400年祭りで復元された鉄御門。



鉄御門内部。



およそ3億円の資材費を投じて集められた一級木材を使用したとのこと。



二の丸から見た天守。
今治城の天守は1604年に竣工したものの、
6年後の1610年には
亀山城に移されたと伝えられています。
その後、今治城には天守がない期間が長く続くことになります。



暗すぎてもはやディティールがまったくわかりませんが、藤堂高虎の象。



土台だけでもかなり大きいです。



馬が死にそうな雰囲気なんですけど、高虎が重いんでしょうか。



二の丸の奥には遊具やベンチが置かれて、小さな児童公園になっています。
雨なのでさすがに子供の姿はありませんでしたが……。



なぜか鳥かごまであって、無数のセキセイインコが飼われていたり……。



鯉も飼育されているようです。



大きな木。



本丸御門から流れてでてくる雨水がまるで滝のよう……。
私のスニーカーのなかもグシャグシャです。



本丸への階段。
天守の位置は本丸の中央付近と推定されていますが、
再建後は本丸塁線上の二重櫓(北隅櫓)跡に建てられています。



本丸から見上げた天守。
1980年に模擬天守として再建された鉄筋コンクリート製の建物です。
外観は今治城天守が移築されたと伝わる
亀山城天守の明治期の古写真が元になっています。

とはいえ、亀山城天守が層塔型の構造であるのに対して
今治城天守は望楼型の構造となっており、
また張り出しや出窓など亀山城にはない意匠が施されています。



小さな石落。



天守から山里櫓(手前)、木橋、山里屋敷跡方面を見下ろした写真。
こうして見ると内堀がいかに広くとられているかが分かります。
藤堂高虎といえば高石垣、というイメージがどうしてもあるのですが
高石垣がなくともこれだけ堀が広ければ敵を寄せ付けませんね。



多聞櫓側を見下ろした写真。



周囲に高い建物がなにもないのでかなり見晴らしがいいです。



しまなみ海道が雨のなかにうっすらと見えます。

この今治城天守内部はいわゆる「お城の資料館」になっていますが、
甲冑や天守の模型などに混じって、
名産品のタオルやら、珍しい昆虫や動物の標本・剥製やら、
おおよそ城とは関係ない意味不明な展示物が陳列されています。
ひとりで行くと標本がかなりのホラー具合でめちゃくちゃ怖い。



二の丸付近の集会所(?)らしき場所に佇んでいた小さな虎の置物。



なんとなくのっぺりとした印象の天守なのですが、
アングルを変えると破風や多層状の屋根が複雑に折り重なっていて
なかなかカッコよく見えてきます。



山里櫓側から撮影した写真。
歩きながら撮ったので斜めになってますが、
白壁の間から望楼天守がひょこっと顔を出してるのが面白かったです。



山里櫓から西隅櫓のあった土台(石垣)を眺めた写真。
櫓台と犬走が水面に写り込んできれい。



石垣はよく見ると整然とした積み方ではないようです。



北隅櫓。



立ち入り禁止とは書かれてなかったし、
扉もウェルカム状態で開いていたので、
勝手に犬走に降りてみました。



犬走は幅の狭いイメージがあったのですが、
実際は大人3人ぐらいなら並んで歩けそうな感じです。
有事の際にはここに塀(板塀)を設置して、
水上から押し寄せる敵を迎え撃つのだとか。



海水は城から出て左手に見える水路から引き入れられています。
内堀の様子は潮の満ち引きによって海水が押し寄せたり引いたりと
時間によりかなりダイナミックに変化するようです。



そろそろ帰ろうか……という頃には、すっかり雨も上がっていました。
水城を雨の日に訪れるというのもなかなか風情があってよかったです。
負け惜しみじゃなくて!!

しかし藤堂高吉の資料はここには特に残っていないらしい……。
これはもう名張に行って直接調べるしかないようです。



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