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【広島県廿日市市】宮島 厳島神社

2009年11月21・22日に所用で廿日市に出かけた際の写真(1)。
廿日市市宮島町・厳島神社。

廿日市に諸用があったため、2年ぶりに立ち寄った厳島神社。



澄んだ冬の朝日に輝く宮島の波がきれい。
11月下旬の早朝ということでフェリーの甲板はかなり寒かったのですが、
きれいな景色を見るためにがまん……。



厳島神社は、日本全国に約500社ある厳島神社の総本社で
平安時代末期に平家一族の崇敬を受け、平清盛が現在の社殿を造営し、
平家滅亡後は源氏をはじめとして時の権力者の崇敬を受けました。



戦国時代に入ると一時社勢は衰退しましたが、
毛利元就が厳島の戦いで勝利を収め当社を崇敬するようになると
再び隆盛したといわれています。



宮島のシンボルである大鳥居は、
木造で鳥居の種類としては両部鳥居(四脚鳥居)です。
高さ約16.6m、棟の長さ24.2m、主柱周り9.9m、総重量は約60t。



海中に土台があるわけではなく、浜辺に"立っている"だけなのだそう。
棟の西側には三日月が、東側には太陽の印があり、
陰陽道の影響がみられます。



趣のある石灯籠。



神馬のいる馬小屋。
現在は作り物の馬が入っていますが、昔は本物の馬がいたようです。
神馬の家廻りという、正月七日に背中に御幣をつけた神馬が
新年の挨拶に家々を廻るという行事があったそう。



宗像三女神(市杵島姫命と田心姫命と湍津姫命)を祀る厳島神社。
本殿、長橋、廻廊、舞台などからなる社殿は何度見ても感動します。
国宝に指定されている本殿は五間社両流造檜皮葺で、
1571年の毛利元就による改築とされています。



満潮時の海に浮かぶ社殿も幻想的ですが、
潮が引いてる姿も地に降り立ったような印象があって大好きです。



大きな灯籠。



境内から見える大願寺の五重塔。
厳島神社の祭神である市杵島姫命は神仏習合時代には弁才天と習合し、
隣接する大願寺と一体化して大伽藍を構成していました。



朱塗りの梁や柱が鮮やかです。



大鳥居の真正面にあるということで、撮影スポットとして大人気の灯籠。



高舞台と拝殿。

高舞台では平清盛が大阪の四天王寺から移したという舞楽が演じられます。
現在の舞台は1546年造営のものですが、
時代でいうとちょうど戦国の群雄割拠前夜ということになるでしょうか。
織田信長がまだ若く、うつけものと呼ばれて暴れてまわっていた頃です。

しかしかなり冷え込みがキツく、ガチガチ震えながら撮影してたら
おもいっきり指が写り込んでしまってました……。



国内でも唯一の海に浮かぶ能舞台。
現在では、重要文化財に指定されています。

厳島での演能は、1568 年の観世太夫の来演がその始まりとされ、
1605年には福島正則が常設の能舞台を寄進。
現在の舞台と橋掛及び楽屋が建立されたのは藩主が
浅野氏に代わった1680年のことです。



午後になり、徐々に潮が満ちてきた廻廊。



平舞台に人が詰めかけているのが見えます。
この平舞台を支えるのは、毛利元就によって寄進された赤間石の柱。
海中にせり出した火焼前分と合わせると合計で239本あります。



ものの数分眺めているだけで、
あっという間に社殿が海に沈んでいきます。



お天気に恵まれてよかった。



そんなわけでふたたびフェリーに乗って本土へ。
あっという間の観光だったのでちょっと慌ただしかったのが残念です。
宮島の主峰・弥山を眺めつつ厳島神社とお別れ。

厳島は「神にく島」という語源から想像されるように、
古代から島そのものが神として信仰されたと考えられています。
特に巨石の連なる弥山は山岳信仰の対象であり、
島そのものが聖域として崇められていたことが推測できます。



何度来ても清々しい気持ちになれる場所ですね。

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● 厳島神社のあとに訪れた【豊国神社 千畳閣】の記事はこちら



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