写真倉庫のようなもの

スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

【大阪府大阪市】四天王寺

2013年1月5日に四天王寺を訪れた際の写真。
大阪府大阪市天王寺区・四天王寺。

「どうせ大阪に行くなら豊聡耳神子様の聖地巡礼をしたい!!」
というよこしま極まりない気持ちから四天王寺にやってきました。
ミーハーもいいところです。

四天王寺は1400年以上前、593年の推古天皇の時代に創建された寺院で、
物部守屋と蘇我馬子の合戦のおり、
崇仏派の蘇我氏についた聖徳太子が不利を逆転して勝利をおさめた際に
戦勝誓願していた四天王像を安置するために建立したと言われています。

四天王寺は蘇我馬子の法興寺(飛鳥寺)と並び
本格的な仏教寺院としては国内最古のものとされ、
聖徳太子が実際に創建に関わった寺もこのふたつのみと言われています。



西門のさらに外に立つ石鳥居(重要文化財)。
こちらは内側(東側)からの撮影ですので
奥に見えるのが谷町筋の四天王寺前交差点になります。

かつては朱塗りの木造鳥居でしたが、
1294年に奈良西大寺の忍性上人が勅を奉じて石鳥居にあらためました。
仏教寺院に鳥居ということでかなり奇妙な感じがしますが、
鳥居はインドの聖地結界がその源流とも言われているため
建立当時としては特に奇異なことではなかったようです。



鳥居上部に掲げられた扁額。
扁額が塵取りのような形をしているのは
すべての人々をあまねく救うという阿弥陀仏の本願から。
「釈迦如来 転法輪処 当極楽土 東門中心」と書かれています。



四天王寺は大阪市を見下ろす上町台地に建立されていますが、
当時は鳥居の外側(西側)にもう浪速の海が広がっていました。
事実、四天王寺前交差点より西は急勾配の下り坂(逢坂)になっており、
地形的に坂の下の難波エリアは海中にあったと推測できます。



石鳥居を抜けるとすぐ右手にある聖徳太子の引導石。
葬儀の際し、棺をこの石の前に置いてから
境内にある無常院の鐘を三度鳴らすと
聖徳太子様がこの石に宿り故人を極楽浄土のへ誘ってくれると
古事記に記されているのだとか。



西の玄関口、西大門。
災害や戦禍で焼失し、現在は鉄筋コンクリートで再建され、
極楽に通ずる門という意味で極楽門と呼ばれるようになりました。
参道には屋台が数軒立ち並んでいます。



境内の木陰。
奥に見える中心伽藍の廻廊の壁がなんとも鮮やかです。



しかしこの正方形の石は一体なんなんだろ。
これも休憩用の腰掛けとして使っていいんでしょうか?
それにしてもベンチと距離が近いから微妙に気まずそうな……。



六時礼讃堂(重要文化財) 。
1623年に建立された入母屋造瓦葺きの薬師堂で、
堂内には薬師如来坐像と四天王像が安置されています。
昼夜6回にわたって諸礼讃をするところから六時堂と呼ばれ信仰を集め、
修正会・聖霊会などの大法要もここで行っています。



石舞台(重要文化財)。
六時礼讃堂手前の<亀の池>の上に架かっている石橋に組まれた舞台で、
毎年4月22日の聖霊会舞楽大法要の際には、
古来よりの作法にのっとり舞台上で雅楽が披露されます。
四天王寺の雅楽は三方楽所による最古の様式を持ち、
現在は「雅亮会」が伝統の様式を継承に努めています。



六時礼讃堂の前に広がる<亀の池>。
たくさんの亀が放し飼いにされています。
さすがに冬なのであまり亀の姿は見られませんでしたが、
池にしつらえられた小島に数百匹の亀が集まって
一斉に甲羅干ししていることも珍しくないそうです。



どうみてもスッポンにしか見えないやつもたくさん泳いでました。



続いては拝観料を払って中心伽藍へ。
南から北へ中門、五重塔、金堂、講堂が一直線に配置された
四天王寺式と呼ばれる伽藍配置を踏襲しています。



中心伽藍の中央、金堂。
災害や戦禍で焼失し、現在は鉄筋コンクリートで再建されています。
入母屋造で屋根は上下二重の錣(しころ)葺。
飛鳥時代の建築様式を取り入れた、藤島亥治郎の手によるものです。
聖徳太子の本地仏である救世観音を祀り、
内壁には中村岳陵画伯筆の仏伝図が描かれています。



中心伽藍の中央に聳える五重塔。
災害や戦禍で焼失し、現在は鉄筋コンクリートで再建されています。
聖徳太子は五重塔創建の折りに六道利救の悲願を込め、
塔の心柱の中に仏舎利六粒と自らの髻髪を納めたと言われています。
内部は螺旋階段になっていて登ることもできます。



中心伽藍の南、中門。
脇の間に伽藍の守護神である仁王像を祀っていることから
仁王門とも呼ばれています。



中心伽藍東門に残る、飛鳥時代の排水溝。
戦後に大規模な発掘調査が行われた際に発見されたもので、
瓦を積み上げてフタをつけただけの簡単な構造のものですが、
1200年以上も当時の姿をとどめ続けた稀少な創建当時の遺構です。



そしていよいよお楽しみの太子堂(聖霊院)。
聖徳太子をお祀りしているお堂で、太子信仰の中心でもあります。



こちらは前殿。
入母屋造妻入の木造建築で、聖徳太子孝養像をお祀りしています。



前殿と、奥殿の東にある猫の門には眠り猫の彫刻がされています。



こちらがもう一匹の眠り猫がいる猫の門。
大坂の陣で一度は焼失しましたが、徳川幕府によって再建されました。
再建された猫の門の猫は、日光東照宮の「眠り猫」と一対となって、
大晦日と元旦に鳴きあったといわれています。



聖徳太子摂政像をお祀りする太子堂奥殿。
こちらは戦災で焼失したために鉄筋コンクリート製の再建です。
法隆寺の夢殿に外観が似ていますが、
夢殿が八角堂であるのに対し、太子堂奥殿の完全な円形の建物です。

------------------------------------------------------------



四天王寺の名物といえば釣鐘まんじゅう。
ということで、石鳥居から少し南に入ったところにある
釣鐘屋本舗さんで釣鐘まんじゅうを買いました。



1900年、四天王寺に地元の有志が大梵鐘を奉納して
大変な評判をとったことから、
その記念として釣鐘を模したまんじゅうを売りだしたのが
釣鐘まんじゅうのはじまりです。

奉納された大梵鐘は第二次世界大戦で供出されてしまいましたが、
まんじゅうは当時の姿のまま府民に愛され続けています。



上品なこし餡がやわらかなカステラ生地で包まれているお菓子で、
少し油っけがあってパサパサしていないのが美味しいです。
今日は朝から何も食べていなかったので余計胃袋に染みました……。

------------------------------------------------------------

そんなこんなで聖徳太子建立寺を歩きまわって堪能しました。
四天王寺はとても広い寺院なので、
まだ境内のすべてを見学できたわけではありません。
すでに何度か訪問している場所ではあるのですが、
これからも折りにふれ足を運んで少しずつ開拓していきたいところです。



 

スポンサーサイト

<< 【美濃赤坂】安楽寺 | main | 【大阪府大阪市】赤手拭稲荷神社 >>