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【美濃赤坂】安楽寺

2012年12月3日に美濃赤坂の安楽寺を訪れた時の写真。
岐阜県大垣市赤坂町・安楽寺。

大垣のビジネスホテルで早朝に目を覚ましたら
北の窓から金生山が赤々と朝日に照らされているのが見えたので
「どうせならこのまま四国に帰る前に御勝山に行ってみよう!」と
ほとんど思いつきで美濃赤坂行きの電車に飛び乗りました。



当初の予定にはまったく入っていなかった寄り道なので、
時刻表も道のりもまったくわからないままの正真正銘のブラリ旅。
しかし思いがけず旅情を掻き立てるような美濃赤坂駅の佇まいに
かなり興奮してウロウロしてしまいました。



かつては石灰石輸送の中継地として栄えた美濃赤坂。
現在も残る広大な貨物ホームが巨大なモニュメントのようで印象的です。



が、駅舎の中で帰りの発車時刻を調べていて愕然!!

なんと美濃赤坂駅は一時間に1本しか電車がなかったのです。
つまり観光のタイムリミットは次の電車が来るまでの1時間。
しかもその次の電車はさらに1時間間が空いて3時間後……。

田舎住まいなのでこういう駅には慣れてるはずだったんですが、
まさか大垣からたった2駅でこんなことになるとは予想外過ぎて!!

御勝山への道順すら調べてなかったので
スマホ片手にカートを引き、慌てふためきながら出発。



美濃赤坂駅のすぐ裏手が御勝山。
しかし駅の出口とは反対側なので回りこむようなルートとなります。

実はこの時点で道を間違えて失敗してしまった私は、
まったく正反対のお茶屋敷跡方面へと進んでしまい
延々と引き返すハメになってしまいました……。



だいぶ遠周りしながらもなんとかたどり着いた御勝山の表にある安楽寺。
安楽寺は「西美濃三十三霊場」にも数えられる名刹で、
聖徳太子の創建と伝えられる由緒ある寺院です。



壬申の乱の際には大海人皇子がここで祈願し勝利を納め、
のちには大友皇子の冥福を祈り宝物を寄進したといわれています。
また関ケ原合戦においては徳川家康が祈願し勝利を納めました。
まさに関ケ原とは切っても切れない縁深いお寺ということになります。



山門を入ってすぐに見える本堂。
軒下に大きな陣太鼓のようなものがぶら下がっているのが見え、
かつて戦勝祈願の寺であった面影が偲ばれます。



境内は山の上だけあって狭いのですが、本堂はかなり立派。
屋根など至るところに徳川家と同じ「三つ葉葵」の紋が掲げられています。



詳しく調べたわけではないのですが、
関ヶ原合戦で勝利した徳川家康から授かったものなのでしょうか。
幕府の庇護を受けていた時代があったのかもしれません。



境内の片隅にはこんな大瓦も遺されていました。



安楽寺の山号である「紫雲山」と共に三つ葉葵の紋。



境内の鐘つき堂に掲げられている梵鐘は、
かつて関ケ原合戦で大谷吉継が陣鐘として実際に使用したもの。
吉継が兵士の鼓舞や合図用に播州から持ってきたものを、
徳川家康が戦利品として押収して、安楽寺に寄進したと言われています。



吉継と鐘というのはよほど縁があるのか……。
敦賀でも吉継が朝鮮から拾ってきたという鐘を見ましたが、
戦国武将ってそんなにこんな大きな鐘を持ち歩くのが
当たり前だったんでしょうか。


そんな感じで鐘を眺めていたら、
目と鼻の先の御勝山徳川家康陣跡にたどり着けずにタイムオーバー。
駅から出た時に道を間違えたのが失敗でした。
仕方ないので陣跡は次の機会に出直すことにします。
またお天気のいい日に来れたらいいのですが。

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