安居神社の南向かいにある一心寺には本田出雲守忠朝の墓があります。
忠朝は徳川家康公四天王の一人といわれた本多忠勝の第ニ子で、
関ヶ原の合戦に武功をあげ大多喜五万石に封ぜられていましたが
1615年の大坂夏の陣の天王寺・岡山の戦いにおいて
毛利勝永軍に正面から突入して奮戦、討死しました。
酒癖が悪かったことでも知られた忠朝は死の間際に
「今後わが墓に詣でる者は酒嫌いとなるべし」と言葉を残したといわれ、
酒で身を誤る人々を救う「酒封じの神」として愛されるようになりました。
墓碑は、元和2年
(1616年)に建立されたもの。
酒弊の除滅に信を得て、
今なお酒に苦しむ当人や家族からの参拝が絶えない忠朝の墓。
墓碑周辺のシャモジは参拝者による断酒祈願で、
裏面に「酒がやめられますように」などの願い事が書かれています。