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【船場】少彦名神社の神農祭

2012年11月22日に少彦名神社の神農祭を訪れた際の写真。
大阪府大阪市中央区・道修町


別件で北浜のホテルに宿泊していた際、
大阪の証券マンたちがたむろうオフィス街に
純和風の黒壁の変わった建物が見えたので散歩がてら近くまで。

ボンドでおなじみの「コニシ」の屋敷兼社屋だった建物のようです。
小西家住宅(旧小西儀助商店社屋)と呼ばれ、
1900年代に建てられた和風の商家は
その大部分が重要文化財に指定されているそうです。



小西家住宅から道修町のほうに向き直るとお祭りが開催されていました。
薬種屋仲間290年、という文字からして道修町にオフィスを構える
製薬会社がメインのお祭りのようです。

道修町は大阪市の中心業務地区である船場のうち北から5番目の町で、
江戸時代には海外からの薬を一手に扱う「薬種中買仲間」が店を出し
その関係で現在でも製薬会社や薬品会社のオフィスが立ち並ぶ
「薬の町」として知られています。



毎日新聞の号外が配られていたのでその場で読んだところ、
今日は「神農祭」という道修町・少彦名神社のお祭りなのだそう。
毎年11月23日に開催され、今日22日が宵宮。
賑やかな屋台の列は堺筋から御堂筋まで達する規模で、
道修町に本社やオフィスを構える製薬会社が総出でお祝いするのだとか。



偶然立ち寄っただけなのですが、これも何かの縁……ということで、
少彦名神社にお参りすることにしました。
谷崎潤一郎の『春琴抄』にも名前が登場する神社でもあります。

ビルとビルの間にある細い路地の奥にある境内は、
普段はおそらくひっそりとしているのでしょうが、
この日はものすごい参拝客でひしめき合っていました。
半分は一般の参拝客、もう半分は製薬会社の社員さんという雰囲気。



神社で授与される張り子の虎の納め方。

「少彦名神社といえば張り子の虎」というほど有名なものらしいです。
1825年にコレラが流行したおり、薬種商たちが疫病除薬として
虎頭殺鬼雄黄圓(ことうさっきうおうえん)という丸薬を施したところ
これがよく効くということで大当たり。
以来神農祭・道修町のシンボルになったのだとか。



境内に続く路地に展示された家庭薬のガラスケースのうちのひとつ。
道修町に会社を構える製薬メーカーの様々な薬が見られます。

中でもカイゲン、小林製薬、塩野義製薬、大日本住友製薬、
武田薬品工業、田辺三菱製薬、扶桑薬品工業、丸善薬品産業、
和光純薬工業の8社は道修町に本社を構えるメーカーです。



CMなどで知っている薬、実際に使ったことのある薬ばかりで、
改めて「薬の町」ということを実感しました。



少彦名神社の由来は1700年代に伊勢参りが盛んになったころ
薬種商たちが「伊勢まで行くのは金も時間もかかる」ということで
もともと薬の輸入取引で信仰のあった中国の薬の神様である神農に加え
日本の薬の神様である少彦名命を京都から勧請し
同時に祀ったことがはじまりと言われています。



薬種商たちが自ら作った神社ということで町からの愛着・信仰は深く、
明治末に大阪府から「近くの神社との合併を」と命じられた際にも
これを拒否して逆に社殿を拡張したとのこと。



社殿の拡張の中心になったのが、1884年に結成された薬祖講。
薬の神様を崇敬する薬業関係の団体で、
現在は大阪府内の約350社が加盟して
神農祭などの神社行事をとりおこなっています。



拡張されたとはいえ境内はつつましやかなもので、
社殿を除けば境内は車4〜5台がとめられる駐車場程度。
しかし100人近い参拝客が入れ替わり立ち替わりで
ひっきりなしに訪れるため大混乱に陥っていました。



ご神木の根本には、去年授与された張り子の虎が返納されていました。



優雅な奉納舞を披露する巫女さんたち。



笹つきの張り子の虎を授与する巫女さん。
自宅に飾りやすいリース状になったものもあるようです。
製薬会社はこの張子の虎をこぞって取引先に配るのだそう。



少彦名神社のおとなりのビル
「くすりの道修町資料館」の前で牙を向く虎の像。

本当にまったく別の用件で大阪にやってきたわけですが、
図らずもホテルのすぐ傍で歴史散策ができて嬉しい一日となりました。

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