石田堤からさらに北上して一路「忍の浮き城」忍城址へ。
忍城の歴史は古く、
文明年間(1470年頃)に山内上杉氏配下の成田親泰が築城したとされ、
後に宇都宮城などと並ぶ関東七名城の一つに数えられました。
1590年に豊臣秀吉と小田原北条氏の戦いである小田原の役で
秀吉の命を受けた石田三成による水攻めを受け、そののちに開城。
江戸時代から明治維新を経て現在に至っています。
映画「のぼうの城」でせっかく興味が沸いたところなので、
どうせなら市内に残る曲輪や虎口の跡も見学したかったのですが
半日しか時間がなかったため本丸のみの見学となってしまいました。
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■御三階櫓忍城のシンボルである御三階櫓。
本丸跡に昭和63年に本丸跡に鉄筋コンクリートで外観復元されたもので、
忍城の実質上の天守(模擬天守)にあたります。
史実上の櫓とは規模・位置ともに大きく異なり、
(そもそも忍城は本丸には何も建造物がなかった城郭なのだそう)
内部も行田市郷土博物館と連結して博物館の一部となっています。
非常に目立つ鯱の大きさは1.8mで、
これは日本最大級の大きさと言われています。
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■あずま橋内堀をまたいで忍城本丸へと続くあずま橋。
現在の忍城周辺はすっかり埋め立てられて水城の面影はないのですが、
当時の古地図などを見るかぎり城周辺には河川などが無数に流れ込み
また池や湿地も多かったことから天然の要塞になっていたようです。
特に行田市役所の周辺は大規模に水に浸かっていたようですね。
堀の水が淀んでおらず、常にきれいな水が流れているのがよかったです。
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■東門あずま橋と城址を隔てる荘厳な門。
歴史的ないわれはなくこちらも模擬的な城門のようです。
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■本丸広場御三階櫓の裏側へまわると、本丸広場が広がっています。
竹林と木立が並ぶお庭風の広場。
忍城の中ではここが一番お城っぽく見えるエリアかもしれません。
特に歴史的な根拠に基づいて設計されているわけではないようですが、
土塀や土塁が巡らされていかにも城跡のような雰囲気が楽しめます。
土塀にずらりと穿たれた鉄砲狭間。
なんとなく狭間の形状に違和感を感じなくもないのですが……。
模擬的に置かれたものなので、こちらも歴史的な忠実性はなさそうです。
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■湧き水城址の庭園から勢い良く湧き出ていた水。
戦国当時の忍城にはいくつかの湧水ポイントがあったようで、
周辺が広範囲にわたって沼沢地であったのも
河川が流れ込んでいるほかにこのような湧水が原因だったようです。
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■時鐘こちらも復元された鐘楼で、当時とは別の場所に設置されています。
掲げられた時鐘は
1823年に松平氏が伊勢桑名より忍へ移封となった際、
桑名より持ってきた鐘を模して新しく鋳られたものだそうで、
本物の鐘は郷土博物館に展示されています。
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■忍城櫓の石垣駐車場の近くに整然とならんだ加工石は
かつて実際に忍城の櫓に使用されていた石垣の石なのだそうです。
明治6年に廃城となった忍城は
城内の構造物のほとんどが撤去されて競売にかけられ、
これら数個の石を残して完全に失われてしまっています。
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■進修館門行田市城西の旧芳川家表門を移築・復元したもので、
一度移築した経緯があるためはっきりとした来歴は不明らしいのですが、
かつての藩校「進修館」の表門であったと伝えられている門です。
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■本丸土塁本丸のなかではほぼ唯一の遺構となる幅16メートルが現存する土塁。
関東では石塁・石垣に適した石があまり取れなかったことから、
このような土塁での防御がスタンダードであったと言われています。
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■行田市産業文化会館南芝生広場翌日に「忍城時代まつり」を控えて、
忍城合戦の甲冑劇(市民参加劇)の練習が行われていた芝生広場。
この芝生広場を含む行田市役所および産業文化会館一帯は
当時の忍城の城郭のなかでも最大規模の巨大な湿地エリアだったようで、
古地図などを見ると完全に水(おそらく沼)の中でした。
立派な会館やしっかりした広場が作られている場所だけに、
ここが水びたしだったとは想像がなかなかつきません。
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忍城本丸の見学はここまで。
駐車場脇の高麗門を撮影し忘れていたようで
帰宅して写真を確認してから落ち込んでしまいました……。
次に来るときはもっと時間に余裕を持たせて
もっとも美しいと言われた沼橋御門があったという周辺や、
比較的面影が残っているという諏訪郭なども見てみたいです。
高源寺にも行けませんでしたしね。
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