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【愛知県岡崎市】岡崎城と三河吉田城

2009年秋に藤堂高虎ゆかりの地巡りをした際に立ち寄った
愛知県岡崎市の岡崎城と、愛知県豊橋市の三河吉田城。

■徳川家康誕生の地 岡崎城

 
岡崎城はついてそうそう、のっけからしかみ像をプッシュしてきます。
徳川家康の生誕地といういわば「聖地」であるというのに、
あえて 脱糞 あの絵をこんなに大きく立体化するとは、
岡崎人なかなかのセンスの持ち主のようです。



訪れたのが大型台風が過ぎ去った翌週だったため、
空堀の中には根本から折れた木やゴミなどが派手に散乱していました。



なかなか立派な岡崎城模擬天守。
岡崎城は戦国時代に家康の祖父・松平清康が城主をつとめ、
以後安土桃山時代にかけて徳川氏の持ち城となりました。
江戸時代には岡崎藩の藩庁として譜代大名が歴代の城主を勤めています。



天守の展示物は古民具などがほとんどで、
見所というほどの見所はないのですが
天守の真下にある龍城神社の屋根を見下ろせるのは面白かったです。
しかしちょっと罰当たりな気もしますね。

展示は天守のほかに、併設された「三河武士のやかた家康館」にもあり、
こちらでは家康とその寵臣たちのパネル展示や、関ヶ原のジオラマなど、
戦国関係のみの凝った展示が楽しめました。
ただ関ヶ原ジオラマは、ジオラマとムービーが同時に動きまわるため
2回ぐらい見ないとなにがなんだか分からないままに終わってしまいます。



岡崎城二の丸能楽堂。
全国でも珍しい市立野外能楽堂。
監修の能楽師観世栄夫氏らの手により完成した能楽堂は、
舞台に一層の格調を添える正門や清楚にめぐらされた白壁に囲まれ、
背後にそびえる岡崎城との調和も美しい建築物です。



龍城神社の前で見つけた謎のゆるキャラ味噌崎ジョー。
どうも岡崎のPRキャラクターらしいのですが、
あたまの上にウンコ……いや、味噌なんですかねこれは……。

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■池田輝政などが城主をつとめた三河吉田城



三河吉田城の模擬鉄櫓。
戦国末期、豊臣秀吉によって徳川家康が関東に移封されると、
池田輝政が東三河4郡を統べ15万2千石の吉田城主となりました。

輝政は吉田城および城下町の大改築や吉田大橋の架け替えを行い、
整備は11年間にわたって行われましたが、
慶長6年に輝政が播州・姫路に移封されたため、
輝政の時代ではついに完成することはありませんでした。



再建鉄櫓を支える石垣は池田輝政当時のものといわれています。
その他の部分の石垣については、慶長期の名古屋城築城の際に余った石垣を
転用している部分が見受けられ、石垣の中には天下普請であったことを示す
各大名家の家紋などが刻まれているものがあります。

ゆるやかにカーブした石垣は、
内部からの圧力で膨張する「はらみ」と呼ばれる現象によるもの。
おそらく、石垣をモルタルなどで詰めたために排水能力が低下し、
内部で雨水などが溜まって石が押し出されているのだと思われます。



岡崎城と同じく、台風でたくさんの倒木が散乱していました。
大人ふたり分はあろうかという幹の大木までが倒れていて、
ちょっと危険を感じたので早めに立ち去りました。



ほかの城では見たことのないような不思議な形の石を積んだ石垣。
野面積みのようにも見えますが、加工石なので違う。
コロコロとした丸い石でお菓子の「こつぶっこ」みたいです。

吉田城のすぐとなりには豊川が満々と水をたたえていて
天然の水堀になっていました。



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