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【名古屋】名古屋城

2012年7月25日に、愛知県名古屋市の名古屋城を訪れた際の写真。


気温37℃。湿度も午後になってぐんぐん上昇。
熱中症の注意報が発令されている中、愛知県の名古屋城へ行ってきました。
あまりの日差しの厳しさにメーグルから降りた時点で既に溶けそう。
体力がもたないと感じたので、探索は諦めてメインルートだけ回ることに。

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■外堀



西之丸に渡るための石橋から眺めた外堀。
木が鬱蒼としててよくわからなかったのですが、ここは空堀のようでした。

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■正門



正門は旧江戸城内の蓮池御門を移築したもの。
当時のものは空襲で焼失し、現在立っているのは昭和30年代の再建。
ちょうどこの門の下で袴姿のお兄さんが箒片手に掃除してたのですが、
団体らしきおばさま達に鉢合わせして記念撮影攻めに合ってました。

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■西之丸



西之丸広場。
午後の暑さが半端ないので、入り口にもかかわらず人影はまばら。
この画像に写り込んでる人も、半分ぐらいは工事関係者っぽい方でした。

こんな酷暑の中ご苦労様です……と思っていたら、
ゆるキャラきぐるみのはち丸くんが広場のど真ん中に立ってて (  Д ) ゚ ゚
観光客と記念撮影してましたが、中の人、大丈夫だったんでしょうか。



名古屋といえば黄金のしゃちほこ〜。
まさか城内に入って早々見られるとは思いませんでした。
間近で見るとやはり大きいです。紅白の垂れ幕がめでたそう。



田中筑後守忠政の刻銘が入った「た中ちくご守石」。
こちらも城内に入ってすぐに見られました。

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■天守閣(西側から)



名古屋城の天守は大天守と小天守が橋台によって連結した連結式層塔型。
主となる大天守は5層5階+地下1階で構成され、高さは約56メートル。
江戸城などには及ばないものの、20階建てのビルに近い高層建築です。



大天守の屋根は銅版張で、各層の平側(長辺側)と妻側(短辺側)で
千鳥破風の配置や数をかえて見た目のバランスをとっています。
数カ所ある向唐破風は、築城当時は隠石落となっていたようですが、
現在では外見にその姿を留めるのみで完全に塞がれています。



破風に取り付けられた蕪懸魚には、
徳川家の葵紋などがちりばめられていました。



天守台には、天守復元時に石垣に極力負担をかけないよう
内部にケーソン基礎(箱状の基礎)が入れられているそうです。



天守台は、この反りがいかにも加藤清正の手によるものという感じ。
石垣を湾曲させて土圧などをを分散させる「清正流石垣」。



大天守(左)と小天守(右)をつなぐ橋台。
軒桁に30cm余りの槍の穂先を並べた剣塀が設置されていました。
堀へと降りる銅製の雨樋は築城当時からあったものとのこと。
400年前から雨樋というものは今と同じ形だったのかと感慨深いです。



九州の外様大名勢が担当した本丸西側の石垣。
普請丁場割を見ると寺沢広高と鍋島勝茂の名前がありました。



奥に見える小屋は解体修理中の西南隅櫓。
堀は箱堀で整った逆台形の傾斜が特徴的です。
写真手前の大きな雑草の塊あたりで石垣の詰み方が変わっているので、
そこが寺沢と鍋島の担当の境目なのだろと勝手に推測。

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■鵜の首



西之丸と御深井丸を分断するような形で造設された堀「鵜の首」。
名古屋城には本丸に五カ所、同様の「鵜の首」が残されているそう。
植え込みがあって見学しにくかったのが残念。
奥にウェスティンナゴヤキャッスルがちらっと見えますね。

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■御深井丸



御深井丸展示館前に設置されていた巨石。



四角い刻紋がはっきり分かります。

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■旧天守閣礎石



大天守裏手の、旧国宝名古屋城天守閣の礎石群。



現在の復元天守はコンクリート製のため、礎石は不要なのだそうです。



天守閣礎石群の北側の水堀。
Googleマップで見ると、南北(手前→奥まで)およそ100メートルほど。
あまりに広大すぎて逆にピンときません。



水堀の手前にあった巨石。
丸に三本線が引かれていました。



なぜか礎石群の奥にあった古墳時代後期の石棺式石室。
島根県松江市山代町にあった団原古墳の石室で
出雲地方独特の横穴式石室……ということですがなぜ名古屋城に???
やっぱりというかなんというか中にはゴミが投げ込まれてました。

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■石垣の刻紋



不明門手前の、二之丸と御深井丸を隔てる石垣。
名古屋城の名物・石垣の刻紋がよく見られるスポットのようです。



「丸に上」「丸に十字」「三つ串団子」「琴柱」の刻紋。
名古屋城の他の石塁でも見られる代表的な刻紋が揃っています。
団子紋と琴柱は加賀前田家の紋のようです。



こちらはキリシタン紋や菱紋など。

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■御殿椿



江戸時代から本丸御殿南の庭にあった尾張藩秘蔵の銘椿で
3月中旬〜4月中旬に白八重大輪の花を咲かせるそうです。
太平洋戦争末期の空襲で焼失したかと思われていましたが、
焼けた幹の下から再び新芽が伸び、接木の末に復活したとのこと。

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■不明門



近代城郭につきものの不明門(内側)。
外側は槍の穂先が並んだ剣塀になっていました。
こちらも実物は空襲で焼けたため、昭和中期の復元のようです。
周辺の石垣に空襲時の炎による劣化(おそらく)が見られました。



不明門を引いて撮影したところ。
足元が整備されているぶん、縄張りの妙が分かりやすい箇所でした。



不明門の正面に聳える石垣。算木積みが美しい。



不明門側から天守を見上げたところ。



こちらも不明門側から見上げて撮影した天守台。
日陰になっていて分かりづらかったのですが、
石垣の石に炎に焼かれた名残があるのが分かります。

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■排水路



小天守側に排水路を発見してテンションあがりまくり。



石樋のたぐいは通常地上2〜3メートル以上の高い位置にあるので
このように手が触れられそうなほど近くで見られるのは珍しいです。

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■天守閣からの風景



雲ひとつ無い晴天だったのですが いかんせん湿度が高く、
全体的にモヤが掛かっていて遠くまでは見渡せなかったのが残念。
しかし360度ぐるりと眺望を堪能できるのは復元天守の長所です。

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■名古屋城大天守三階



この手の天守にはつきものな、殿様や町人のお部屋再現コーナー。



ここは執務室かなにかのようでした(説明見てなかった)。



食器や台所用品の並ぶ厨。
このあたりはちょうど記念撮影スポットみたいですね。
家族連れがたくさんいて思い思いに背景を選んで写真を撮ってました。

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■東一之門とその周辺



大天守と小天守と、その間を繋ぐ橋台が見られる撮影スポット。
左手前の塀の内部では本丸御殿を復元中。



本丸側から東一之門を眺めた写真。



かつては巨大な櫓門があったという本丸東一之門跡。
この奥のニの門と合わせて枡形を形成していたとのことですが、
あいにく工事中のため立ち入ることができず非常に残念です。
写真左の工事用目隠しフェンスの奥に清正石があった模様。

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■本丸東側石垣



本丸御殿復元のために細い通路状になっている本丸東側石垣。
ここではたくさんの刻紋を見ることができました。



卍、丸、三角など。形状不明のものもあります。



丸に日、丸に十字など。




丸・三角形・四角を組み合わせた刻紋。



金輪や図案など。

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■表一之門跡地



空襲で焼けたまま再建されなかった表一之門の跡地。
左奥に表二之門があり、虎口になっています。

通常の城郭では内側の門が二之門、外側の門が一之門と呼ばれるのに対し、
名古屋城は内側が一之門、外側が二之門と逆になっているのが不思議……。
理由はわかりませんが、名古屋城が外部から襲われる城ではなく、
大坂に向けて出撃することを想定した城だったからかもしれません。



内側からはよく見えない東南隅櫓。



枡形の内側は田中忠政が普請を担当。
几帳面に整えられた石垣が印象的でした。

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■表二之門



表二之門を内側から撮影。
門扉に鉄板が張られた鉄門で、形状は高麗門となっています。
門に取り付けられた金属の防護フレームがやたら物々しい……。
工事用資材を運搬する重機などから門を守っているのだと思います。



表二の門を外側から撮影すると、塀に銃眼が開いているのが見えました。



表二之門を出てすぐ東手に見えた東南隅櫓。
内側から見るよりは全体像が把握しやすい位置なのですが、
木が生い茂ってしまっているのでちょっと櫓が見えにくいです。



空堀のなかに設置されていたコレは鹿小屋……?

この空堀には60頭近くの鹿が放たれていたことも合ったそうですが、
2012年1月〜2012年7月までに事故死、餓死、衰弱死などが相次ぎ、
この旅行の時点ではわずか2頭を残すのみとなっています。
この日も鹿の姿を確認することはできませんでした。



表二之門側から見た西南隅櫓と空堀の様子。
空堀が解体工事の足場によって物理的に寸断されたことも、
鹿の相次ぐ餓死や事故死の原因のひとつとなったそうです。

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■大手馬出跡



大手馬出跡周辺の植え込み。



西之丸と馬出を隔てていた堀のあった方角。
祭りか何かの準備でもあるのか、コーンが置かれて近づけませんでした。

ただでさえ非常に大規模だったというのに
西之丸と一体になってしまったのでなおさら実感が湧きにくいのですが、
名古屋城の大手馬出は国内の城郭のなかでは最大規模の馬出で、
多聞櫓、喰違虎口、高麗門などで厳重に守られていたそうです。

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とにかく暑かったため、二の丸庭園には行かずに正門まで戻りました。
茹だり過ぎて顔が鮮やかなピンク色になっていたうえ、
ペットボトル4〜5本飲んだのに一度もトイレに行きたくならず、
これは 本当に倒れるかもしれない とゾッととしたので泣く泣く撤退です。

できれば今度は工事が終了したころに来てみたい。
あまりにもいろんな場所が立入禁止や見学不可になっていたので、
どうにも歩いていて消化不良感が拭えませんでした。
修理してない場所も機材や資材が置かれていて全然落ち着かないし……。

次は立ち入ることのできなかった旧二之丸なども見たいです。



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■おまけ:能楽堂前の清正像



能楽堂前で見つけた清正の銅像。
熊本にある銅像とよく似ています。

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■おまけ2:名古屋能楽堂



「休憩できる」と聞いていたので、帰り道にちょっと立ち寄った能楽堂。



係の方に尋ねたところ、撮影は特に問題ないとのことだったので
遠慮無く能舞台をカメラで撮影させていただきました。
他にお客さんがいなかったので舞台を独り占め。



防音が徹底されているだけあり、
廊下ではやかましいほどだったセミの声も一切聞こえず
ホールの中はしんと静まり返っていました。



伝統芸能関連のイベントだけでなく
名古屋のコスプレイベントなどにも貸し出されるそうですが、
こんな立派な舞台でコスプレとは贅沢な……。



体調不良で早く帰りたい気持ちもあって15分ほどで出てしまったのですが、
またイベントのない日にでも来てゆっくり鑑賞してみたいです。



中庭に水鳥の親子がいました。
奥の日陰でゴロゴロしてるのが雛です。暑そう。



能楽堂周辺の水庭もきれいだったので、心に余裕がある時にまた来たい。
とにかく暑さにやられっぱなしの初・名古屋城でした……(;´Д`)

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