景行天皇の時代、
南海で暴れていた悪魚を退治に向かった
讃留霊皇子と80人の勇者が魚の毒に苦しんだおり、
この泉の水を飲んだところたちまち蘇ったという伝説があることから
「八十蘇場の清水
」「八十八の霊泉」などと呼ばれている清水。保元の乱で敗れ讃岐に流罪となった崇徳院の亡骸は、
その処遇をめぐって京から返事の使者を待つあいだ、
この霊泉に半月以上のあいだ浸されていました。
泉から引き上げた崇徳院の遺骸はまったく腐敗しておらず、
まるで生きているかのようだったと言われています。
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■八十八名物 ところてん清水屋泉のすぐ脇にある茶屋は、八十八名物のところてん清水屋。
230年前の江戸時代から続く超有名店で、
夏場はところてんを目当てにひっきりなしに観光客が訪れます。
酢醤油で頂く細長いスタンダードなところてんもありますが、
くず餅風に切って黒蜜をかけたものを頂きました。